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マイケル、あなたの音楽について”もう少しだけ”語らせてくれ

MICHAEL JACKSON-The Official NEVERLAND Collection」を観に、
東京タワーに行ってきた。

映像や写真の中でしか見たことの無かった数々の衣装やアイテムの、
想像していた以上のきらびやかさと精巧さに、僕はびっくりしながら展示を観ていた。

でも実は、一番印象深く、そして、改めて「マイケル・ジャクソン」を僕の中で
再度反芻し、咀嚼したいと思ったのは、彼が自宅のNEVERLANDに飾っていた
三連の祭壇画に描かれた、マイケル自作の詩を見た時だった。

//
I am the thinker, the thinking, the thought
I am the seeker, the seeking, the sought
I am the dew drop, the sunshine, the storm
I am the phenomenon, the field, the form
I am the desert, the ocean, the sky
I am the Primitive Self in you and I
Michael Jackson

//
(和訳は吉岡正晴さんのブログを!)

壮大な物語を見せつけられたと思った。

それは、昨年こちらでも紹介した、
サウンド&レコーディングマガジン2009年9月号のマイケル追悼特集を思い出したからだ。

立川芳雄さんが書かれていた記事を僕なりに要約すれば、
//
「ジャンルを超越したポップスの普遍性」と「人種(Roots)を超越した普遍的存在」、
マイケルが目指したこの2つの普遍性は表裏一体であり、それがKING OF POPたる所以である。
しかし、80年代後半にポップカルチャーの世界にもポストモダンの潮流が流れこんで来ると、
「普遍」ではなく、「普遍に対抗するようなもの」が高い評価を得るようになったことに加え、
90年代以降、「編集」や「解体」の音楽が先鋭的として評価されるようになった時代に、
あくまで「構築」を目指すようなマイケルの音楽は、古いものとして評価されるようになってしまった。

//

マイケルの音楽を語るという意味で、時代背景を汲んだこの分析は納得だ。

「構築」と「脱構築」。

音楽を作る手法としては、どちらか一方だけという極論で語ることは難しいが、
少なくとも、作家としての創作行為の背景にあるスタンスは、僕自身が「構築」の人間なので、
この音楽の流れは、勉強した知識としても、自分自身の肌感覚としても解っている。

ひとつ断っておきたいのは、
どうしても流行り廃りの指標だけで音楽の価値を判断しようとすると、
ともすると、流行ってない音楽は悪いという極論に行き着くフシがある。
しかし、そうでは無いと思う。

立川芳雄さんは、先の追悼記事を
“永遠に残るポップスの完成形”というサブヘッダーと共に、
//
(略)こうして批判にさらされることの多かった近年のマイケルだったが、
彼の死を受けて、その評価は再び大きく変わった。
“みんなマイケルが好きだった”ということが分かったのだ。
ポップ・カルチャーというものの評価は、常に時代に左右され、
確かにここ十数年の時代の潮流という観点から見れば、
マイケルの音楽を高く評価することは難しいかも知れない。
しかし、マイケルの音楽は30年後にも聴かれているのではないか?
それは彼の作り出した音楽が、特定のジャンルを超え、
ポップスとしての一つの完成形を示しているからだろう。

//

という内容で締めくくっている。

話を戻そう。

物語は「構築」の創作であり、物語性は「構築」的創作性のシンボルとも言える。
逆に、特にミニマルを志向する「脱構築」の創作においては、物語性はオミットされる。

ライブステージや映像といったショウビジネスの中で
マイケルをマイケルたらしめるために大きな役割を果たしたオリジナルの衣装やアイテムの展示品。
しかし、そのような大衆に向けて魅せるための演出の品々だけでなく、
第一義的にはプライベートなものにまで、全てに普遍的な物語がつながって流れていた。

つまり、マイケルの存在そのものが物語であり、彼の人生は物語のスクリプトなのだ。

まさに、“HISTORY” and “THIS IS IT”.

マイケル本人が「マイケル・ジャクソン」という物語の作り手であり、
主人公であり、語り手だったのだ。
そして、彼がアーティスト生命を賭けて伝えたかったことがその事だったんだ。

世の中的にマイケルの楽曲の再評価が起きたことが
これから先の音楽の潮流に影響を及ぼすのか、そもそも音楽はどうなっていくのかは、
恐らく10年から20年経った後、2009年を振り返ることで結果論としてわかるだろう。

僕は、リスナーとしては当然「構築」「脱構築」問わず楽しむけれど、
作家としては、僕は僕なりの姿勢と歩幅で少しでも良い音楽を生み出すことを
目指して精進するのみだ。

以上、長々と語ってしまったが、
かなり背伸びをしながらも、歴史や文化、そして社会の大きな潮流の中で
自分がやろうとしていることってどんな意味があるのかを考えることは
畏怖をおぼえると同時に愉しくもある。
そして、意味なんて結果論さ、今はただ創るだけだ、という念も同時に湧き上がる。

※マイケルの詩の和訳は音楽評論家 吉岡正晴さんのブログをチェックしてみて下さい。
素敵な訳で、スッと言葉が入ってきます。展示の内容総評も、とても参考になります。

※まだ、「MICHAEL JACKSON-The Official NEVERLAND Collection」に行ってない人は
是非足を運んでみて欲しいが、東京タワーでの公開は、明日7/11(日)までなので、
行けない人は、展示品の一部が公開されているAOL MUSICの記事を参照してみて欲しい。

※サウンド&レコーディングマガジン2009年9月号

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