前回、伺って以来3ヶ月ぶり。
長野県栄村の近況を確かめに行って来た。
詳しい経緯は、こちらで書いた通り。
忘れられた被災地に対して、僕は何が出来るわけでもないが、
近くの方面に行った時には、状況を伺って、現地で飯でも食おう。
今、栄村はこんなだよと、いろんなひとに伝えよう。そんな気持ちでの再訪問でした。
正直、思っていたほど、復旧が進んでいない。
個人的には、そんな率直な感想。
もちろん、至る所に工事の途中と思われる所はあるし、
実際、工事が行われている所もある。
だけど、上の写真の橋も、3ヶ月前と様子は変わっていない。
むしろ、3ヶ月経ってもこの状況という事から察するに、
当時は、橋が崩落しないように応急措置を行っていただけで、
修復していたわけではなかったのかな…という事に今気づいた。
近くでジャガイモの収穫をしていたおばあちゃんに声をかけると、
近所の集落50軒あまりのうち、約半数の20軒余りが
元の家には住めなくなってしまったそうだ。
建替えをするお宅と、公営住宅に入るお宅と、それぞれだが、
とにかく大工さんが足りていないから、順番待ちになっているとのこと。
母屋だけは、冬までに何とかしないとと、おっしゃっていた。
(一帯は日本有数の豪雪地帯だ)
そう言えば、前回インタビューしたおじいさんも
大工さん不足についてはおっしゃっていた事を思い出した。
ここで、大工さん、工事屋さんの仕事について、少し考えてみた。
ハッキリ言って、答えのわからない事を考えてみるために
書き出してみたレベルの駄文である。
また、あくまで僕の知っている範囲の知識に基づいた推察なので、
間違っている事があれば、ご容赦いただきたい。
僕が考えてみたのは、
例えば、東京のある街の大工さんや工事屋さんが、
「おっし、栄村の大工が足りないなら、手助けに行ってやろう…!」
ということが成り立つのか?ということ。
もちろん、個人レベルで、ボランティアとして被災地入りし、
大工や工事の手助けをを行っている方は少なからずいらっしゃるだろう。
太平洋沿岸の津波に襲われたエリアのような質の被害になると、
事業体として現地入りしないと厳しいことも多いだろう。
しかし、大工さんや工事屋さんとは、元来、超地元密着型の仕事である。
資材調達から施工の分業まで、基本的にはチームを組んで行っていると思う。
だから、例えば、一人の鳶職の方が被災地に行こうと思った所で、
チームで成り立っている仕事だから、他の人たちは困ってしまう。
同様に、鳶職の方が一人、被災地に入った所で、現地のチームに入らないと
仕事は出来ない可能性が高い。また、チームによって、施工の仕方など、文化の違いもありそうだ。
では、仮にチーム単位で被災地入りする場合を考えてみる。
工事というのは一朝一夕で終わるものでは無いから、
余程の事が無い限り、地元を留守にするわけにいかないだろうし、
地元での仕事が無くなってしまう可能性すらある。
また、ボランティアで行くのか、仕事として行くのか、という問題もある。
被災地支援の基本は、現地の被災した本業の人達の仕事を奪わないという事だ。
かと言って、大工や工事のような仕事は、無料で出来るものでは無い。
以上のようなことを、小規模な工務店の規模で考えてみたが、
大きな建築会社が支援に乗り出すと言った場合は、
なおさら、現地の業者や産業を潰しかねないリスクがある。
だから、大工や工事というのは、
外の地域から手助けに行くには、かなり難儀な産業なのではないか、
という僕の考えなのである。どんなもんなんだろう。
もし、やるのであれば、
出来る限り地元に密着したソリューションを作り出す意味で
最も小規模な単位の行政のマネジメント下で行う事が必要だ。
そう、様々な歪みのリスクを最小限に留めるには、
栄村役場が仕切らなければならないと思うのである。
とは言え、何でもかんでも役場というのは、
それはそれで無茶な話でもあることは、理解できるつもりである。
つまり・・・結局、僕にはわからないのである。ハァ。
─取り壊しが必要なのだろうが、応急措置のみで手つかずになっている所も多い─
─これだけ蜘蛛の巣が張っているという事は、相当手つかずのままということ─
いろいろ考えても、しゃっきりしないままでしたが、
うん、天ぷら蕎麦は美味かったです(笑)
道の駅さかえの食堂にて。
閉店間際の駆け込みですみませんでしたが、ご馳走さまでした!
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